虐待

今日は子ども会の納涼祭でした。
私はたこ焼き係のお手伝い。
こどもたちはおゆうぎやスーパーボールすくいなどを楽しみました。
ゆかたを着せてとせがむので、三兄弟に浴衣を着せて、
だけどはしゃいですぐに着崩れてしまい、舞台に出る頃には
前もはだけて帯をひきずり、それはそれは勇ましい?姿でした…。

今はぐっすり眠っています。
寝室の暗闇にぽわんと光が三つ。
くじで当てた蛍光色のブレスレットを大事そうにはめたまま、眠りました。
なんともいとおしい光景です。
だけど、それぞれが脱ぎ捨てたゆかた、
お祭りの準備で忙しく、荒れ放題の部屋…。
そんな中にいると、そんないとおしい光景にほほえむ余裕もない気がします。

今朝の朝刊で、また痛ましいニュースを目にしました。
二人の幼い子が死んでしまった…。
お母さんはその子たちを残して家を出て行ってしまって…。

だけど、わたしだって、そのお母さんのおかれた環境にいたら、
殺してしまっていたかもしれない。
いや、絶対そうなっていた、と言えるくらい、そう思ってしまう自分がいます。

私はきれいなものが好きです。
何をもって美しいかと言うのは個人差がありますので、
私にとっての美しさの範囲での話しですが。

青々とした木々や、健やかに成長したこどもたち、目の覚めるような美しい女性…
それらを包む空間と、その美しい対象との境目に、はっきりとした輪郭を見出します。
もちろんそれだけでも美しいのですが、その輪郭が青空に輝く陽の光に照らし出されたとき、
より美しさを増したように見えます。

もちろん「空間」には科学的にいつも何かが存在しますが、
目には何も見えません。
その何もないところに、完全にはっきりと存在することに、
美しさを感じます。

こころ、も、同じかな。
澄み切ったこころに写るものは、ひとつひとつの感情の輪郭もはっきりと写るのかな。
悲しい、うれしい、苦しい、楽しい…。
だけど、悲しみを悲しいと思えずに、苦しみを苦しいと思えないほど、
輪郭がぼやけてきていたら、こころに影が差してきたら、
やはりこころの美しさを失ってしまう…。

こころの動きに鈍感にならなければ生きていけない人たちもいると思います。
また、少なからず鈍感でなければ生きていけないと思います。
だけど、こどもを死なせてしまうまで鈍感になっていいとは思いません。
だけどだけど、その前に、彼女の金色の髪をかき上げて、じっと目を見て、
何も言わずに抱きしめてあげたいと思いました。

きっと、なにもかもがあいまいに、現実を生きているんだか夢の中なんだか、
行き場のない閉塞感にどっぷりと漬かって過ごしていただろうことを思うと、
苦しかっただろうと思います。

こどもを身ごもったときに、中絶するくらいのことは思いついただろうと思います。
それをせずに出産したことは、自分の中に親としての喜びを見出していたのだろうと思います。
このようなことに至る途中でも、至ってしまった今でも、いけないことをしてしまったと、感じていた、いる、
のではないでしょうか。
だけど、その前に、言い訳したいことがたくさんありそうです。
言い訳を存分にしたらいいと思います。
言い訳を繰り返し繰り返し、考えて考えて…。
そして、そういう人こそ、行き場のない思いを抱えている親子を思いやる本当の人に成長する気が、するんだな。

てめえ、生んだんだったら、育てろよっ! 
あたしが助けてやるからさっ 

ってね。

ただやっぱり、幼子たちの泣き声を想像すると、こころが痛みます。

夜中のつれづれ、支離滅裂ですが、どうしても気になって。
by o-beikokuten | 2010-07-31 23:16 | つれづれ
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